志望動機の悪い例

志望動機や志望理由として企業理念への共感を第一に挙げる学生が少なくないと思います。しかし、企業理念として述べられていることの多くは、未だ十分には達成されていない経営目標であり、目標達成のための会社経営のガイドラインに過ぎない場合がほとんどです。
契約社会である欧米の企業やその関連企業である外資系企業では、企業理念(経営理念)は会社の義務として確実に実行する事柄を箇条書きに列挙するスタイルが一般的ですが、日本の企業では、単なる理想像としか思えないものさえ少なくありません。そのような不確実な会社の現実への共感を志望の第一理由とすることは、実利を追求する企業の社員となることを目指す人にふさわしいとは言えません。企業理念への共感は、あくまでも志望理由の第二・第三にとどめておくべきです。その上で、理念達成のために自分も社員としてがんばりたいという意志を表明すべきです。

経営が安定した企業であること、将来性のある企業であることを志望動機や志望理由として挙げることは、けっして妥当なことではありません。寄らば大樹的な発想は、企業と企業との親密な関係を構築する上では至極当然の原理として歓迎されますが、個人が企業に対して期待した場合は、その人の評価を下げるだけです。業界第二位の大手証券会社があっけなく消滅し、日本の顔であった航空会社が倒産のふちに立たされる、そのような変化の激しい時代に立ち向かって生き残っていこうとする人材が歓迎されます。将来性という言葉も、一本調子の右肩上がりの時代とは異なり、現在のような不確実な時代にあっては空虚な美辞麗句にしか聞こえません。優秀なエコノミストが説く長期的な世界経済や国家経済の予測には、卓見と評すべきものがあるかもしれませんが、個々の企業が日々直面する変化はまったく流動的であり、次の局面を正確に予測することも困難です。今、将来性を語ることはあまり意味のないことであり、企業が現在持っている人的資産や知的財産、技術力などを高く評価する方向で説明した方が説得力があります。